今放送中のNHK朝ドラ「おむすび」を見ていたら、「あゆの歌はギャルにとって救い」というセリフがありまして。
これとおんなじセリフをギャルに言われたことあって、朝から鳥肌が立ちました。
そういえば彼女は福岡生まれだった。
そんな福岡から来たギャル、ジュンちゃんの話をします。
当ブログとは全く関係ない個人の体験談ですが、新潟で生まれた女の生い立ちだと思って読み流していただければ幸いです。
ジュンちゃんとの出会いは、私が出稼ぎに行った先の横浜のキャバクラ。
営業が終わり、当時仮住まいにしていたウィークリーマンションに入ろうとしたところ、よく見たら前方にさっき店内で見かけたギャルを発見。
横浜に来てわずか3日、誰も知り合いがいなくて寂しかった私は、名前も知らない彼女に「あのー」と声をかけました。
その時間、深夜1時すぎ。
振り向いたその子はノリがいいけど、意外と礼儀があって。
顔は大塚愛によく似ていて、お尻をぷりぷり振りながら歩く子でした。
そのまま私の部屋で少し話してみたところ、なんと年が一緒!
(・・・いや待て、私は23歳設定(当時25)なのに、なぜジュンちゃんは22歳設定なんだ?1歳の違いはギャルかどうかなのか?)
と、心の中でモヤモヤしたけど、重い蓋でしっかり封をしました。
(夢を壊すようですが、ほとんどの女の子は実年齢で働いていません。ちなみにですが「ジュン」は源氏名です。私のことは「ナッちゃん」と呼んでいた。)
住まいも一緒だったのもあってどんどん交流も深まり、ジュンちゃんがなぜ福岡から横浜まで稼ぎに来ているのかを思い切って聞いてみたんです。
そうしたら、なんとジュンちゃん・・・
「まだ若いんだし、思いっきり遊びたいじゃん」と。
借金や実家の仕送りという重いものを背負って、人生を投げ打って横浜に出てきた私にとって衝撃的すぎるひと言に、しばらく思考がフリーズしたのを覚えています。
本当ならムカつくはずなのに、その潔さがとても気持ち良くって私は大笑い。
しかも、同棲している彼氏も納得させて(?)、親には福岡市内で働いていると嘘をついてまで、月に一度飛行機に乗って横浜まで出稼ぎに来ているんですよ。
2週間ほど滞在して、また次の月にやって来るジュンちゃん。
あまりの世界観の違いに、この時ほど自分がちっぽけな生き物だと思い知らされたことはないですね(笑)
その後私は、横浜市内に小さなマンションを借りるんですけど、ちゃっかり者のジュンちゃんは、ウィークリーマンション代をケチるために居候として狭い我が家に転がり込んで来るんです。
そこから、福岡から来たギャルと、新潟から来た地味な私の不思議な生活が始まりました。
まず一緒に住んで死ぬほど呆れたのが、ジュンちゃんの主食がたべっ子どうぶつだったこと。
もう!信じられない!と世話焼きの私はジュンちゃんにあれこれ作って食べさせて、そのたびに「ほんまにありがとう」「ナッちゃんが作るごはんはおいしいよ!」と言ってもらうのが楽しみになってました。
そうやっているうちに、ほかの女の子も食べにくるようになって、私の家は食堂化した時もある。
私は根っからのおばさん体質なんだろう。
福岡弁のことはよくわからないけど、横浜に来る直前は、大阪の繁華街でキャバ嬢をやっていた(本当か知らないが)と言っていたので、にわか関西弁を話すのが彼女の面白いところ。
最初のセリフも正確には「あゆの歌はギャルにとって救いなんよ」と言いました。
近所の家系ラーメンを食べに行った時は、700円くらいのラーメンに「たっかいなあ」と。
「博多なら同じくらいの値段でおかわりもできるのに」とよく愚痴をこぼしていたジュンちゃん。
長浜ラーメンがうまいんよ、とよく言っていた。
替え玉を知らなかった私は、一気に福岡に行ってみたくなりました。(当時の値段の感覚ですからね)
絶叫マシンが大好きである共通点がわかった次の日、横浜のシーパラダイスでフリーフォールに乗り。
その次の日にはディズニーシーで何度もセンター・オブ・ジ・アースに乗って叫びました。
江ノ電に乗って江ノ島や鎌倉の大仏を見に行ったこともあるし、正月には浅草と鶴岡八幡宮に行った。
そこで私は2日連続おみくじで「凶」を引き、「待ち人来ず」「事業に失敗する」と全部マイナスなことしか書いてない内容を見て爆笑を誘うことに。
新潟の実家に遊びに来たこともある。
温泉に入って、セイヒョーのアイスを食べて帰りました。
とにかく行動力のあるジュンちゃんに、人生に絶望しかけていた私はいつもパワーをもらっていた気がします。
でも一緒にいれる時間には限りがあり、ただ遊び半分で来ていたジュンちゃんとのお別れは早かった。
一度同棲している福岡の彼氏が横浜に来た時、同席したことがある。
想像以上に優しいギャル男で、完全に尻に敷かれていた。
でも、2人とも筋が入っていて尊重し合っているのがわかり、なんだか奇妙だけどカップルだ〜と微笑ましくなったのを覚えています。
この1年後くらいに2人は結婚してジュンちゃんは子供を授かり、ようやく本当の意味で地元で働き始めました。
最初こそ「とんでもねえ!」と思った子だったけど、ジュンちゃんはいい子、いや、いいギャルだった。
嘘をついたけど、両親が大好きでいつも自慢していたね。
うちに来る時に持ってくるお土産の「博多の女(ひと)」が美味しかった。
あれ、また食べたいな。
そんな福岡から来たギャル、ジュンちゃんのお話でした。
左が私、右がジュンちゃん。正月の浅草寺にて。