河井継之助を題材にした映画「最後のサムライ」の公開が6/17からスタートしていますね!
もっと前に読破しておきたかったのですが、せめて映画を見る前に原作・司馬遼太郎の「峠」を読み終えようと試みました。
上中下3巻に続く長編歴史小説はとにかく読み応えも抜群ですが(すき間時間は全て読書に充てました…)、司馬遼太郎氏の読みやすくわかりやすい文章、そして河井継之助という人物にすっかり魅了されました。
河井継之助(「峠」では”かわいつぎのすけ”ですが”かわいつぐのすけ”とも呼ばれる)は長岡藩士として幕末を生きた人物。峠では来る北越戊辰戦争に対して備え、学び、揺れ動く心情を綴っています。
数多くの名言を残した河井継之助ですが、ここで個人的に峠を読んで心に残ったり共感した名言をあげてみます!
■「俺は、知識という石ころを、心中の炎でもって熔かしているのだ」
本質を見極める男、河井継之助。といったところの言葉だと思いました。なんていうかキザ!しかしこの言葉の直後、吉原の話(つまり女の話)をするのが河井継之助でもありますね……。
■「私儀、痔疾にて」
役職を辞める時に書いた辞表の理由が「痔」。本当に痔の傾向はあったそうですけど、この辺りから河井継之助って面白い人だなと思い始めました(笑)。
■「味噌漬け飯ほどうまいものはない」
名言でもないですけど、大根の味噌漬けを細かく刻んで炊いたご飯なんだそうですが、峠の中で登場するたびに頭に浮かびました。味噌漬け飯(さくら飯)は小千谷市の東忠さんで期間限定提供中の「東忠御膳」でいただけるそうです!
■「人は、その長ずるところをもってすべての物事を解釈しきってしまってはいけない。かならず事を誤る」
軍人・立見艦三郎に対して伝えた言葉なんですが、「それは間違っている」とズバリ言うのをやめて、柔らかく諭すことができる優しさに感動しました。
戦争を避けるために小千谷談判をしたけど失敗してしまい、やむを得ず戦うことになったんですよね。幕末の1日は途方もないし、一本気な考えよりも何が大事なのか教えてくれたような気がします。
■驚いたエピソード!長岡藩は食パンを携行していた
名言ではないけど、長岡藩は軍用食として食パンを利用したそうです。これは河井継之助が横浜の商人に作り方を教わって実行した成果らしいのですが、長岡で食パンを広めた発祥ともいえるエピソードですよね!
峠には地元の菓子屋に依頼したと書いてあったのですが、調べてみたら長岡市の老舗店「紅屋重正(当時は紅屋庄五郎)」が長岡藩に納めていたらしいのです。(参考元:http://beni.co.jp/history/index.html)
■妻・おすがが好き
長岡に住む妻・おすがは世間知らずだったようで、それを継之助は可愛いと思っていたようです。夫婦のシーンは少ないけど、どれも印象的!
長岡藩の本陣を置いた摂田屋について「おすが、摂田屋という村を存じているか」と聞く継之助に対して「セッタヤ?」と答えるおすが。
生家があった長町から摂田屋はそんなに遠いだろうか……?と一瞬考えました。今のように便利な情報がない幕末なら仕方ないのかも知れないですけど。
海のように広い心で(遊郭好きの)夫を支えるおすがの姿にはキュンとさせられます。(映画では松たか子さんが演じるそうです。個人的にドンピシャなイメージです。)
■胸が詰まったシーン
新潟に住み、峠に登場する地名の場所がわかるからこそ、長岡が官軍に攻められたシーンはつらくて悲しかったです〜。
ー城下が燃え始めた。官軍が火をつけてまわっている。神田町、呉服町、長町、袋町の順で燃えてゆく。ー
戊辰戦争がこんなにもつらいものだったなんて、と改めて峠を読んで感じることができました。長岡藩のためにできることを、この時代に地球規模で見つめていた河井継之助。
司馬遼太郎の描く河井継之助はとても魅力的で面白くて、顔は怖いけどパリピな一面も持っている(宴会で踊るのが好き、とか)そんな印象を持ちました。
とっても長い小説「峠」ですが、もう一度読みたくなる面白さがありますね。映画「最後のサムライ」はどんな河井継之助が描かれているのでしょうか?楽しみです!
■映画『峠 最後のサムライ』公式サイト (https://touge-movie.com/)
▼河井継之助が小千谷談判後に昼食を取った江戸時代から続く歴史的建造物「東忠」